過去の振り返り⑦ とうとう初期研修修了

【とうとう初期研修修了】

 

2015年3月 "Welcome to hell" と言われて始まった初期研修がとうとう2年間で終わりを迎えました。そんなに地獄だったかというと、確かに限りなく眠い状況で患者さんを診なきゃいけないのは辛かったかもしれません。一晩に血液培養を8セットとった時は、自分は血液培養をとるために医者になったのかと思いました。鳴り響く緊急コールでは、心臓マッサージをし、採血の検体を運び、血液ガスを分析し、心臓マッサージをし、エコーを取りに行き、心臓マッサージをし、肉体的に完全に動きっぱなしの当直もありました。また、医師としての責任の重さに潰されそうにもなっていました。でも、まとまりのない同期が心の支えでした。人生の中での大きな糧です。

 

今は、皆全国に散らばり、プロボクサーになった同期や海外留学している同期、子育て中の同期、仕事人間になった同期もいます。

 

2年間の初期研修を共に経験し、同じ体験をした仲間というのは、一生涯、医師人生の中で大切なプロセスを共有した者として、心に刻まれるのでしょう。

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沖縄県立中部病院 特集号 ERでお世話になった若かりし頃の写真も…

 

過去の振り返り⑥ 2年目の病棟担当医

 

2年目となると、研修の重要なポイントである「病棟担当医」となります。朝、指導医の回診の前にプレラウンドと呼ばれる、担当患者のバイタルサイン、その他問題点をチェックし、新たな問題点が発生してないか見て、ある程度のアセスメントとプランを立てておく、そして指導医の回診に臨むというのを一年間繰り返します。担当するのは、だいたい15~25人ほど。この人数の中で、新入院があり、退院する人がいてという流れです。

 

例えば、1日の生活は

6:00

まず救急センターに行く。回っている科の入院がいるかどうかチェック。例えば、腎臓内科を回っていたら急性腎不全、低ナトリウム血症の患者など。循環器内科を回っていたら、心筋梗塞心不全、肺塞栓、感染性心内膜炎の患者など。一日の朝の入院は大体2~4人。

6:30

病棟に行く。自分の受け持ち患者15~25人くらいのプレラウンドと呼ばれる自分回診を行う。まず、カルテを見てバイタルと経過表をチェック。そうこうしているうちに、前日の当直医から電話がかかってくる。当直帯で呼ばれた人についての状況・対応についての報告を受ける。約250~350人の内科入院患者全ての問題が当直帯は当直対応になるので、大変な仕事である。

カルテを見終わったら担当患者のベッドサイドへ。病状は改善傾向か、何か大きな問題は起こってないか、食事はできているか、身体診察などをチェックしていく。

7:30~8:30

カンファレンスに出席。症例検討会、CPC、スタッフによるGround Round(勉強会の様なもの)、M&Mカンファレンス、内科外科合同カンファレンスなどがある。

9:00

救急センターからスタッフと共に回診。ER→ICU→病棟という流れが多い。一人一人回診するので12時から13時ごろまでかかる。

12:30~13:15

昼のコアレクチャー

一年を通して内科だけでなく、外科、救急、小児科、産婦人科、麻酔科のレクチャーがある。昼ご飯を食べながら聴講。

13:15

~ 病棟業務、書類仕事、インフォームドコンセント、予定検査のオーダーなど。経過が良くない患者さんのワークアップもしつつ、

15時

までに救急センターに来院した内科患者さんは各内科に振り分けられる。

16:00、17:00

頃から夕回診をしているグループもある。日中、動きがあった患者や新入院の患者を見に行く。

19:00

内科当直への申し送り。当直帯で呼ばれそうな人、採血結果をフォローして欲しい人などをピックアップして、申し送る。申し送り後は自分の仕事へ。

診療情報提供書、院内紹介状を書いたり、次の日の採血をオーダーしたりする。

当直でなければ、自分の仕事が終われば終了。

 

土日、祝日は13時が申し送り。なので、土日当直は次の日の朝7時までなのですごく疲れます。

土日は同じ科を回っている二年目と相談して、休めたり休めなかったり…。

 

(注:2014年当時の情報です。現在は、17時申し送りと記憶しています。)

過去の振り返り⑤ 忙しい研修病院は休みがないと思っていた...

 

振り返りはまだまだ続きます・・・(いつまで続くんだろう)。

 

【休みがないと思っていたら、意外とあった中部病院】

入職するまでは、「研修医なんてどうせ休みなしでずっと働きぱなしっでしょ」と思っていました。しかし、そんなサイボーグみたいな人間はなかなか存在しません。

初期研修医のとき、1年目は2週間に一日は必ず休みがもらえ、1年を通して2週間の休みもらえました。2年目のときは、一緒に診療科を回っているレジデントがいれば、土日どちらか休み 、そして通年2週間のバケーションを1週間ずつに分けてとる人が多かったです。

日常の業務も当直帯に切り替われば、起こったプロブレムは当直対応になるので、PHSを切って家に帰っても大丈夫です。(実際、日常業務が夜遅くまでかかることもしばしばですが…)

 

注:2013年当時の情報ですので、現在は医師の働き方改革の影響もあり、さらに良くなっていると聞きます。

 

働き方改革は、今までの60歳定年退職からさらに延長し、徐々に「細く長く働く」しくみに移行させるものだと聞きます。確かに、日本人の平均寿命はどんどん延び、70歳でも現役で働いているかたも周りでよくみかけます。

我々が70歳ころになるときは、どのような働き方になっているのでしょうか。

 

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2週間のバケーションを利用していった、地元 愛媛県西条市石鎚山。冬山はとても寒いですが、絶景です。

 

過去の振り返り④ めまぐるしく動く病棟

久々の投稿となってしまいました。

 

 

【めまぐるしく動く病棟】

まず、一年目の頃はPHSが本当に鳴り響きます。一日に何度も。「先生、Aさんの解熱薬が切れたので処方してください。」「先生、Bさんが頭痛を訴えています。」「先生、Cさんがショックバイタルです。すぐ来てください。」「先生、Dさんの抗生剤の注射箋が今晩からありません。今すぐオーダーしてください。」「先生、Eさんが発熱してます。診察お願いします。」優先順位がごちゃごちゃな内容を整理して、2年目の先生と協力して重症度の高い患者さんから対応していく。やっと、一人が終わったら、次々と次の電話がかかってくる。そして、いつの間にか一日が終わり、当直帯の時間が来る。これの繰り返しでした。

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南病棟へ行く渡り廊下からみえる沖縄県立中部病院。

空は青く、現実の仕事から解放され、癒されます。

 

<振り返り>

振り返って考えると、このような忙しい研修は数年間だから持続できたのかなと思います。10年も20年も・・・というのは、もう心身ともに疲れてしまいそうです。

ただ、医師になってある一定期間でも 多くの経験を積むこと、つまり多くの患者を診察することは、その後の臨床経験のとてつもない糧になることは間違いありません。

一度経験した疾患、病態、臨床経過というのは、その後の臨床経過において、リアリティをもって蘇ってくるのです。

 

↓専攻医の研修(後期研修)も募集しています。

chubuweb.hosp.pref.okinawa.jp

過去の振り返り③ 沖縄県立中部病院の救急センター

 

【救命救急とは】

中部病院の看板の一つである救急センターは初期研修で重要な柱の一つです。

研修医になりたての4月、僕の初めて受け取ったホットラインの電話は、 救急隊員の 「受け入れは可能ですか?」 という必死な声が一番印象的でした。救急車で飛ばして一時間かかる場所からの電話でした。 僕は初めての事だったので、周りの先生に受け入れは可能ですかと尋ねると、「もちろん。」と言ってくれました。その先生は産婦人科の7年目の先生でした。どんな患者さんとも聞かずに即答でした。それが意味するのは、中部病院の救急医療に対する姿勢です。どんな患者さんでも受け入れられるというキャパシティがあるということ、その責任を負えるだけの覚悟があるということ、すごいなと感じた研修医1年目4月の初めでした。

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毎日、ERで熱い指導をしてくれる某先生。ホットライン用のホワイトボードも救急車が来てない時は、レクチャーボードに。

手元には、沖縄県立中部病院式のERマニュアルが。

 

沖縄県立中部病院では、一年目研修医が「ファーストタッチ」と呼ばれる、いわゆる初期対応を行います。救急センターはER型であり、1次~3次までの患者が来院し、walk-inと救急車、同時に診療しなければなりません。

その中で、

1. 優先順位をつける能力

2. マルチタスク能力

3. 上級医・専門科へのコンサルテーション能力

が身についていくのだと思います。

 

僕が研修していた当時は、入職後4月~5月は先輩医師が隣についてスーパーバイズしてくれていました。いわゆる、「バイザー期間」ですね。

その時、先輩医師がNear Peer Role Modelとして、自分たちの強力なモデルになっていたのだろうと思います。

相手の言っていることを解釈するということ

「こんなに苦しんです。」

「こんないに痛いんです。」

人々から発せられた言葉は、嘘ではなく事実なのでしょう。

採血やx線を撮って、見つからない「病気」がないから、その症状が嘘であるわけではありません。

 

苦しみや痛みの根源は何か。

 

疾患ではない、何かがあるのかもしれません。

分類することで、解決することもあれば、迷宮こら抜け出せなくなることもあります。

大事なのは、素直にその人の発言を大事にすること。

人生、歴史、想い、体験、経験、過去、トラウマ、感動、生きがい.…

事実と感情が入り混じって、積み重なったその事実を、本体として解釈すること、

それは大事なのではないかと思った1日でした。

過去の振り返り② 沖縄県立中部病院を知るきっかけ

【中部病院を知るきっかけ】

当時、自転車部だった僕は医学部4回生の11月、先輩に誘われてツールド沖縄という自転車の大会に出場しました。沖縄本島の北部を出発して、長いコースの人だと沖縄本島と一周するという過酷なレースです(僕は一番短いコースでしたが・・・)。

 

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レース中の一枚

その時の、沖縄の綺麗な海を見ながら自転車を漕ぐのが楽しくて、それに魅せられて3ヶ月後の2011年2月に一人で5日間沖縄ツーリングを決行しました。沖縄の友人宅(琉球大医学部の皆様、お世話になりました)や安い宿を巡り、中部地区では「赤道直家」という宿に滞在しました。ドミトリーで他の旅人(日本一周中のバイカーの方、ふらっと沖縄にきて数年経っている方)と飲みに行き、酒好きの宿主とも飲みに行き、僕が医学生であることを見抜いた宿主が紹介してくれたのがこの沖縄県立中部病院でした。5回生になったら、是非見学しようと計画しました。

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沖縄中部地区の海中道路からの一枚、素晴らしい景色が広がる

 

しかし、医学部5回生の夏、在宅実習の短期研修中に足を骨折してしまい、実際に中部病院を訪れることができたのは5回生終りの3月でした。そこで、ある内科インターン先生が一人で新入院患者さんの病歴を取り、身体所見を取り、アドミッションノートを完成させて、かと思えば褥瘡の処置にでかけ、一人でデブリを行っていたのは印象的でした。会う先輩は皆、「忙しいけど、充実してるよ!」と眼を輝かせており、このような先輩みたいになりたいと思い、中部病院の受験を決意しました。

 

そして、苦手な英語の試験も一時間に及ぶいつもは恐いであろう先生の笑みの溢れる面接を乗り越え、2013年の4月から晴れてこの病院の研修医になることができました。

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振り返ると、病院見学の時に出逢った一年目の内科インターンの先生は、いわゆるロールモデルという存在だったのだと思います。しかも、強烈に当時学生だった私の脳裏に焼き付いたのです。直感的に、この病院で研修しようと感じたきっかけでもあります。

研修システムや教育システム、給料、寮の完備など、環境面も重要です。

でも、内面というか、ソフトというか、人の心に訴えかける「何か」が自分の将来の道を選ぶときには重要なのではないでしょうか。

 

これを振り返って、医学生が研修病院先を選ぶ最大のポイント

ロールモデルの存在

を声高らかに、伝えたいと思います。